ぷ の日記

ぷぷぷぷぷ

生きるとは、感じること

 
 
大人は泣かないと思っていた。
 
祖父の告別式で親戚が泣いているのを見るまで、大人も声をあげて泣くのを知らなかった。
 
 
現実で目の当たりにするまで、
なぜかそう信じて疑わないことがある。
 
思い込みというやつだ。
 
 
 
私は今朝まで「野菜は嫌々食べるもの」だと思っていた。
 
 
 
 
私は野菜が嫌いだ。
 
幼稚園児くらいのテンションで嫌いだ。
 
 
セットのサラダを完食できたことがない。
 
「温野菜がどうのこうの」みたいなやつは、もはやメニューに並んでいても脳が認識しない。
 
野菜を食べ物だと思っていない節がある。
 
しかし、いくら心が幼稚園児だと主張しても世界はそれを許してくれない。
 
見てくれはどう考えても24歳なので(むしろ年上に見られることもある)
全残しするわけにはいかない。
 
いやむしろ全部食べないといけない。
 
 
野菜はいつも
「僕を食べるまで通さないよふふ‥」
とメインディッシュの前に立ちはだかる。
 
みどり、黄みどり、深みどり……
 
ああ、緑ってこんなにたくさん種類があるんだと思いながらフォークで口に運んだそれは大抵なんか苦い。
 
苦いなぁと思う。
 
この苦みを乗り越えてこそ人は肉や炭水化物にありつけるのか。
 
そう。これこそ、試練。
 
はやくなくならないかな、噛むの大変だなぁ、
 
えっ、君もう食べ終わったの?
 
待って、追いドレッシングしたい
 
 
 ・・・・・・
 
 
 
 
と、自分がこんな調子で9割くらいの野菜が苦手なので、
なんとなくみんなもそうなんだろうなと思っていた。
 
ダイナモが欲しいからやった、あのヒーローモードみたいな気持ちで野菜を食べてるんだろうな、と。
 
このツイートを見るまでは。
 
 
 
 
 
 
 
一体この人は、
 
何を、
 
言っているんだ
 
 
 
 
人生で私から一度も出たことのない、
そしてこの先も一生出ることのないであろう文字列。
 
「あー…酢味噌和え食べたい。」
 
 
 
考えたこともなかった。
 
積極的な欲求としての、「野菜を食べたい」
 
渇望、野菜を食べたいという
 
渇望‥
 
 
最近肌の調子とか胃腸の調子が微妙だな、ビタミンとらなきゃなとかそういう次元の話じゃない。
 
 
彼女はただ純粋にインゲンの胡麻和えを心から欲しているのだ。
 
 
それに比べて私はインゲンがどんなカタチをしているのかすら、うまく思い出せない。
 
たぶん緑色であろうということしかわからない。
 
 
でも、世界、世界には、自然に生きていてインゲンの胡麻和えを欲する人が、
 
メインディッシュまでのウォーミングアップではなく、
 
ヒーローシリーズを獲得するための作業ではなく、
 
ただインゲンを食することを望む人が、確かに、存在するのだ…!
 
 
 
感動した。
 
今まで生きてきた世界の狭さを恥じた。
 
世界が彩りを取り戻していくのを感じる。
 
 
今日の晩ご飯は角煮にしよう。

おいしいちょこをたべてほしい

 
愛ってそういうことよ。
 
 
突然どうしたとお思いのみなさん、
あけましておめでとうございます。
 
ぷです。
 
 
今年の初めに
 
更新頻度を上げたいだとか、それにしてもネタが無いからネタをよこせだとか、
 
散々喚いた挙げ句、全てをなかったことにして一ヶ月半も過ごしてしまいました。
 
 
 
正月どころかバレンタインも終わってしまった。
 
ここが2018年か。
 
 
この一ヶ月半何をしていたかを振り返りますと、
ざっくり言ってSplatoon2にハマっていました。
 
 
いや、何を今更っていうか、お前元からそれしかしてへんやんけっていうか、そういう声は私の内側からも聞こえてきますが、
Splatoon2、本当に面白いんですよね。今。
 
 
Splatoon2を始めてから、他人のプレイ動画とか実況動画とか配信ってものをほとんど見なくなっていたんですよ。私。
 
 
 
というのも、
 
ニコニコという文化が衰退して、
世界はオープンレックを舞台に動きだし、
オープンレックはアーカイブも無限(たぶんそう)に残るもんだから、
配信を切り出してのYouTube投稿というのもかなり減って、
 
オープンレック文化にイマイチ馴染めていなかった私はすっかりネットの孤島に取り残されてしまっていたわけです。
 
自分から鎖国していたんですね。
 
 
そんな私を鎖国状態から救ってくれた、
黒船襲来の事件こそが、甲子園オンライン予選でした。
 
 
特に全編見る予定もなかったのですが、
某氏に「通話しながらトーナメント公式放送見よー」と言われて、そんなら見るかーと軽いノリで見たのです。
 
そして衝撃を受けました。
 
 
 
うまい人の試合見るのめっちゃおもしれえ。
 
っていうかもう今ならこのプレイできる。(できない)
 
 
 
そんなこんなで久しぶりに上位勢対上位勢の熱い戦いを目撃し、
胸を打たれたぷはオープンレックに会員登録するのでした。
 
 
いや、ほんまにうまい人の試合見てたらモチベの上昇が尋常じゃない。
 
「ああなりたい」という憧憬というよりも「今ならこれができる」という同化、これを感化というんですけどたぶん、なんとなく快感が伴って、
 
まあ要するにSplatoon2が楽しい。
 
と高揚に任せてこれまで見ていなかった上位勢のアーカイブをあさっていたら
ここまでタイムスリップしていました。
 
 
 
 
 
とりとめもない文章をぶっ放してしまった。
 
今月中にもう1回は更新することを目標に生きる。

君が知る

 
君が今まで大好きになって時間や労力も惜しまずただまっすぐ見つめたものの中に、誰かにすすめられたものはあったか。
 
 
私にはない。
 
 
彼氏の大好きだったアーティストの音楽も、
全作揃えている作家がインタビューで紹介していたルーツも、
アメトークで素晴らしさを力説される漫画やアニメも、
世界が認める古典作品でさえ
 
 
なんだか味気なかった。
 
 
好きになるものはいつも不意にやってくる。
 
好きになるものは意識のしがらみをスルスルとかいくぐり心の奥に入り込む。
 
 
私は自分の体験を通してでしか、何かを好きになることができない。
 
「誰かが好きな」という意識は、純粋なものに余計な色を付け足してしまう。
 
一度濁ってしまったものが元の鮮やかさを取り戻すには何年もの時間がかかる。
 
 
じゃあ、私たちはどうやって人にものを勧めれば、それを同じように愛してもらえるのだろうか。
 
率直に言って無理だと思う。
 
結局その人がその人の方法で出会うことでしか、本当の意味で好きになってもらうことはできない。
 
私たちが他の誰かに提供できるのはきっかけだけだ。
 
 
私たちが人にものを勧めるという行為は、
誰かの歩いている道にたった一人通行人を増やす行為であって、
彼らが出会って知り合い仲を深めることができるかどうかは、彼らの人生次第なのである。
 
 
好きはいつも言葉足らずだ。
 
嫌いはその心を刺し深部まで簡単に到達するのに、
好きは時間をかけてしか、いや、時間をかけたとしても、奥にたどり着くことは難しい。
 
 
 
 
BEASTARS、本当に面白いんで読んでください(ここがオチ)
今なら一巻無料で読めるみたいです(これは偶然)
 
 

キラキラ

ふと我に返ると、自分がどうやって呼吸をしていたのかさえわからなくなる瞬間がある。
 
 
 
溜まっていくキラキラした家具を野晒しの土の上にならべて、何度話しかけても同じことしか言わないどうぶつたちに虫の入った袋を渡す。
 
 
 
どうぶつたちは全員を把握できるくらいの数しかいないのに、両手で足りるほどの種類の個性しかもたない。
 
 
 私たちは一体何のためにキラキラしたものを集めているのだろうか。
 
 
 
 
今年の流行語大賞は「インスタ映え」と「忖度」に決まったらしい。
 
 
SNSの普及に伴って、私たちは遠いところに住む近い感覚の人たちと簡単につながることができるようになった。
 
 
そして、尊重すべき個性なんて数種類しかなくて
 「多様性」と言いながら自分もなんらかのジャンルの中にしかいなくて、
 かけがえのない私なんていうのは半径1メートルにおさまってしまうことに気付くことになった。
 
 
 
広いところに行けばいくほど自分のしようもなさを思い知る。
 
 
美味しくて可愛いケーキを最新のスマートフォンで撮って淡いフィルターで取り繕っても、添える言葉は変わり映えのしない、どうぶつたちとなんら変わりない。
 
 
 
それでも、目の前で「これが欲しい」と言われると動くしかない。
 
りんごを拾う理由なんて最初からそれだけだ。
 
 
 
最初は必死でかき集めていたキラキラの輝きが鈍っていく。
 
平穏はその先にあるのかもしれない。

おばさん、それは虹。

「そこのおばさんがね、教えてくれた」

私に道をたずねた小学生が、ぺこりと頭をさげ礼を言ったあと、少し先をいく同級生たちに駆け寄ってそう言った。


「おばさん」

声変わりを経ていない男子小学生の声は澄んでいてどこまでも響き、否応なしに私の鼓膜を震わせた。

彼らが去ったあともその言葉は私の頭の中で鳴り続けた。

おばさん、という衝撃。




ああ、私はもう彼らから見るとおばさんなのだ。

その事実をようやく受け入れた頃、一体おばさんはいつやってきて、いつ去って行くのだろうと考えた。


なぜなら私はおばさんではないからだ。
23歳、おばさんというにはさすがに若すぎる。

でも私自身、中高生のとき教育実習にきていた大学生におばさんと言った覚えがある。彼女たちは今の私よりもさらに若い。

大学生だった頃の私は、アラサー以上の年齢の女性はおばさんだと思っていた。今は30後半以上の女性をおばさんだと思っている。

でもいつからか女性はおばあさんになるよなぁ。






いつか。いつの日か。自分の中のおばさんと、自分自身が重なる時がくるんだろうか。


それとも、おばさんはいつまでも、ここからは届かない存在でありつづけるんだろうか。

戦いは続く。

 

森の中に住んでいる。

 

家なんていうものは、私たちが雨を凌ぐために、風を凌ぐために、あるいは寒さや暑さを凌ぐために作った小さな枠組みに過ぎない。

 

その境界線を境界線だと認識しているのは我々人間だけだ。

 

つまり、虫にとっては家があろうとなかろうと森の中は森の中なのである。

 

 

森の中に住んでいる。

 

ということは、常に虫たちとの戦いだ。彼らは自由に生息する。私は自分の家を主張する。意思疎通することはこれまでもこれからもない。私は忌避剤を家の周りに散布し、それでも侵入してくる彼らに怯えるしかない。

 

 

空軍。彼らの機動力は計り知れない。屋根裏とつながっている空調の吹き出し口から常に侵入の機をうっている蜂たちの速さに、のろい人間である私は古代兵器うちわ、新聞紙などでは到底太刀打ちできない。化学兵器の使用をやむなくされる。完全に条約違反である。

 

 

陸軍。主にムカデとゲジゲジである。翔ばない、という点で空軍に劣るかと思われる彼らの機動力であるが、彼らには要塞が通用しない。扉を閉めようが窓を閉めようがそんじゃそこらの密封力じゃ彼らの侵入、または脱出を阻むことはできない。

さらに陸軍の力は夜間に発揮される。飛翔という最高機動力を持つ空軍は、その速さゆえに羽音という欠点を持っているが、陸軍の移動にはほとんど音が伴わない。侵入し、近づいて来ていても我々は視認しない限り気付くことができない。

 

 

そんな両者の利点をあわせもった陸空ハイブリッド最凶モンスター。それが、ゴキブリである。

 

奴らは走る。飛べば時速40㎞の速さを誇るオオスズメバチも地に足をつければ止まっているも同然である。しかし、奴らは走る。陸軍顔負けのスピードで走る。

 

奴らは翔ぶ。あまりのスピードで走るからついつい忘れがちだが、奴らには立派な羽がついている。走っているからこそ、どのタイミングで離陸するのかわからない。ひとたび離陸してしまえば、全速力でこちらに飛んでくる。抗う術はない。

 

 

私たちは無力だ。彼らを前にすると丸腰では何もすることができない。せいぜい悲鳴を上げながら顔を伏せるくらいしかできないのだ。全部屋に各殺虫剤を常備していても、実際に対峙したとき的確な武器を選んで直接吹きかけるのは至難の業である。リアルの判断力立ち回りエイム力が求められる。

 

 

戦いは続く。

告白しよう、Sを舐めていた。

 

S落ちした。

 

至極当然のことである。

 

最近はタグマしかしていなかったどころか、オーバーウォッチに現を抜かし、タグマすらしていなかったからだ。そんな腑抜け野郎が2の発売を目前にしてスプラモチベが上がったなんていう理由でガチマに潜っても勝てないのは火を見るよりも明らかだ。

 


でも正直、すぐ戻れると思っていた。

 

S+8くらいからのスタートだったので、このままコツコツ勝ってS+30に行くより一旦S落ちしてからストレート勝ちした方が早いのでは?とすら思っていた。

 

甘かった。

 


舐めていたポイント その1

自分の実力が絶望的に低下。

 

元々立ち回り・撃ち合いどちらかに特化しているタイプでなく、なんとなく足下を塗り固めつつ敵のいるところにボムを投げて「味方がんばぇ~」と言いながら味方運の強さだけでS+に上がったので、実力もクソもなかったはずなのだが、その微々たる実力のうちのボムコロ力、索敵能力の低下が結構痛い。

 

タグマで培った「まあ味方がどうにかしてくれるやろ」という怠慢な精神が視野を狭めていることを痛感。単純に自分が下手。


舐めていたポイント その2

S帯のヤバさがヤバい。

 

噂には聞いていた。

 

「今のガチマはレベルが低い」「S帯なんてマジでヤバい」「今のS帯はA+の実力もない」「S+もゴミ」

 

「いやいや、いうてそれは君らがうまくなったからであってそんな変わらんでしょ、またまた~」程度に聞き流して(読み流して)いた言葉の重みをこの身をもって受け止めることとなる。

 

背中を任せられる味方はもうみんなどこかへ行ってしまった。

3人やって4人目にやられてしまい、「あと1人は任せた・・・そしてヤグラに乗ってくれ・・・」かすむ視界の向こうで最後の1人にやられゆく味方。進まないヤグラ。負けを知らせる笛が鳴る。

 

S帯の有象無象に完全に溶け込んでいる私だが、さすがに気付いた。

「もう今までの誰かに甘えた立ち回りではS+に復帰できない」

「味方がやれないのならば、私が全員やってやる」

「逆境より復活短縮が強い」

 

  • 従来のぷの立ち回りとガチマの印象:死なない代わりに敵も最小限しか倒さない 塗り続けるので味方の生存率キルレアップ 勝率が上がる
  • 現状で同じ立ち回りをしたときの印象:死なずに塗り続けても味方が死ぬ 自分だけが生き残ってもさすがに塗り負ける 自分が死ぬリスクが高すぎる
  • この世界を生き抜く方法:全員殺す 死んでも1秒でも早く復帰して塗り殺す


こうして僕はS+に復帰したのであった。

 

早くSplatoon2がしたい。